研究ブタ野郎のブログ

博士課程で経験したことを残していきます。

学振に落ちて思ったこと2

前回は学振の申請時のことについてでしたが、今回は実際に落ちてどう思ったかを書いていこうと思います。

補欠の採用不採用の発表は2月末にあったのですが、かなり待たされて、しかも博士課程向けの新制度*1は学振補欠者かどうかは関係ないといった話も聞いたので精神的に不調な時期が続きました。
国際会議への論文投稿や他の申請書作成などで気は紛らわせることはできました。

で、学振の不採用通知がきたときは本当にショックで、かつ学振に対してイライラしてました(学振にイライラしても仕方がないけど)

この時に一番最初に思ったのが、ここまで待たされて、しかも大学に残った場合はPDや科研費で同じような思いをするのは嫌だなということ。

それに加えて、新制度に関してまだ情報は出ていないけれど、おそらく日本学生支援機奨学金の返済免除システムと同じように、学内で選考があり評価されるのだろうと。そしてその評価は論文の数が主となって、数が出せる分野の人がもらうのだろう。(新しいよくわからん制度作るなら、学振の枠を増やせよと思ったのは自分だけではないはず。)

そのようなことを考えていくうちに、自分にとって研究は金銭的不安を抱えたまま続けるほど重要なものではないことに気づいてしまいました。

しかし、私は現在実家で暮らしていて学費も大学の給付型奨学金でほとんど払っていない状態です。そういう状況での金銭的不安とは一体なんなのか。

これはたまたま見つけたブログ*2 では、「学振が取れないと怖いというのは、博士課程のある種のモラトリアムだと世間から思われていることに対して、月額20万円を一過性ながらも安定的にゲットできるという、世間体から来るもの、かつ、有能である自分を認めて欲しいという気持ち」と書いてありました。

まさしくこれだと思いました。つまり、自分が金銭的不安だと思っていたものは金銭的不安ではなく、「自分はまだ学生だ」、「同級生は働いているのに」という他人と比べたときの劣等感から来る承認欲求だったということです。

気づいたところでこれが消えるわけではないが、それをずっと思っていても仕方がないのでブログに書いてすっきりしようというわけです。

ここまでマイナスのことばかり書きましたが、学振は良い点もあります。

  1. 申請書を書く時に自分の研究が見つめ直せる。

  2. 申請書ベースではあるが自分の相対的な研究者としてのランクが知れる。

二つ目に関して、「評価されるのは申請書であってあなた自身ではない」という意見を見たことがあるが、自分の中では違うと思います。申請書を書くという技術は研究者として必要で、その上で研究計画や内容が評価されているのだから、申請書の評価はその人の研究者としての評価であるのではないでしょうか。(論文の数は正直あてにならないと思います。)

自分の所属する研究室には博士課程の人はおらず、他の学生と比べて自分がどうかということが判断できないので、このような相対的な評価は自分の今後を考える上でも出してよかったと思っています。

学振が取れれば自分の経歴的にも絶対にプラスになるので今年もめげずに出そうと思います。